新区画図アップしました。
2008年08月19日
今日は、海の色が美しすぎるので・・・お伝えしたくて1枚パチリ!!
画像ではなかなかお伝えできませんが・・・。海の色がはっきりとグラデーションになって、風も心地よくそよ風・・・、波もまったくなく静まり返った凪ぎ・・・・。新区画から望む景色はまた最高
イメージをfくらませウキウキ気分の私です。下記をクリック
新区画図アップしました。8/12現在ですがご覧ください。 http://www.daitenji.org/daitenji/pdf/20080812.pdfByなお
第3期区画
2008年08月18日
ご無沙汰しています。長らくお待たせいたしました。第3期区画の起工式を去った8月8日行いました。気も引き締まる思いです。
その後造成工事が始まり、予約受けも開始しました。大変お待たせいたしましたが、着々と変化する西原浄苑です。
私の一番大好きな時は、清明祭・七夕・行事のときです。久しぶりに親戚に会うような・・・懐かしい笑顔がそこにあるからです。
そう、墓苑は、一番大切な家族の絆の深い場所、だからこそ・・・ここで良かったと思える場所でありたいです。
最近ブログも休みが多いですが、色んな変化が沢山ありました。追々お伝えします。
By なお
ためになるお話。
2008年05月07日
常に希望をもて
希望とは“明るさ”です。「人生は夢である」といったのは哲学者の三木清氏ですが、夢とは希望にみちた生活のことです。そこには自然と生きがいもうまれ、明るさも伴うことでしょう。ただし利己的な希望は不平や失望の原因になりますから、自分を生かしきれるような希望をもって精進したいものです。それには“一期一会”(一日が一生涯)を腹にすえ、今日今時を大切にすることが前提条件です。今日をおろそかにしては、明日への飛躍も希望もありえないからです。

「いい加減」という言葉大阪弁で言えば「ええ加減」、お釈迦さまがお悟りを開かれて、最初に説法されたことが、実はこのこと。苦しみと楽しみと、その両極端に走ってはいけないのであって、ちょうど弦楽器の弦が張り過ぎていても緩み過ぎていても駄目なのと同じだと説かれました。
いい加減でないといけない、すると仏教は、最初から「いい加減の生き方」を勧める教え。ところが、この「いい加減」ということが、どこか誤解されている。いい加減なんてとんでもない。やっぱり真面目でなくてはならないという考え方が主流のようである。

どんな一生も
一日一日から組み立てられている
今日一日くらいを
軽く考えてはならない
今日一日こそがわが一生である
人間の将来の幸福の花も
自分自身の今日一日から
生まれ育つのである
学校連合会“青春への警鐘”
今年こそ、今年こそと、みんな考えています。何かを期して新年を迎えます。ところが、一年の計がなしとげられたことを、あまり聞きません。今年は、あれもして、これもしてという高のぞみはせずに、今日一日を充実した日暮らしのくり返しをしようとと計画してはどうですか。万里の長城も、ピサの斜塔も、きょう一日、今日一日の結晶です。人の成功の結果ばかり見て、自分もあのようにと考える人が存外多い作
今です。成功は今日一日の努力の重ねでできたものです。

騒音の中の哀愁
往来の頻繁な十字路に臨んでは、狭い安全地帯にのがれて、始めてほっとする。めまぐるしい焦燥のうちに、怯えながら住まなければならぬのは、堪えがたいことである。しづかな墓地を逍遥するときは、なつかしいまでに心が落ちつく。
静けさを、暗い寂寞とのみ見てはならない。むしろ自分のたましひを喚び覚ます。平和な心の灯とも観られよう。はっきりと自分を捉られているときは、何処に在っても寂しさを感じない。しかし、落ちついて、自分を振り返ってみないときは、たとへ賑やかな都大路のまん中に在っても、かぎりなき哀愁にとざされずには居られぬであろう。
九條武子

おほいなる もののちからに
ひかれゆく
わがあしあとの おぼつかなしや ”無憂華“より二月七日は九條武子さまのご命日です。宗門では「如月忌」で親しまれています。武子さまは、関東大地震の後に。築地本願寺に救急避難所をつくられて、ボランティアとして負傷者を救われるために、ご活動された方です。それも、いろんな人のために尽くすという人生で、私たちがまねのできないほどの大変なご努力をされました。にもかかわらず、私のやってきたことは、仏さまのお慈悲から見れば、どんなに小さなはたらきでしょうかと詠っておられます。
いだかれて ありとも知らず おろかにも
われ反抗す 大いなるみ手に
仏さまに、いつも見護られ、支えられているにもかかわらず、それに気づかず、仏さまに反抗し抵抗し、無視し、信じようとしない。
ところが、いつもじっと見護られ、抱かれていると気づいたとき、如来さまの力にひかれた大丈夫な人生の毎日が喜びと変わっていくのだと思います。 賀屋 英嗣
希望とは“明るさ”です。「人生は夢である」といったのは哲学者の三木清氏ですが、夢とは希望にみちた生活のことです。そこには自然と生きがいもうまれ、明るさも伴うことでしょう。ただし利己的な希望は不平や失望の原因になりますから、自分を生かしきれるような希望をもって精進したいものです。それには“一期一会”(一日が一生涯)を腹にすえ、今日今時を大切にすることが前提条件です。今日をおろそかにしては、明日への飛躍も希望もありえないからです。

「いい加減」という言葉大阪弁で言えば「ええ加減」、お釈迦さまがお悟りを開かれて、最初に説法されたことが、実はこのこと。苦しみと楽しみと、その両極端に走ってはいけないのであって、ちょうど弦楽器の弦が張り過ぎていても緩み過ぎていても駄目なのと同じだと説かれました。
いい加減でないといけない、すると仏教は、最初から「いい加減の生き方」を勧める教え。ところが、この「いい加減」ということが、どこか誤解されている。いい加減なんてとんでもない。やっぱり真面目でなくてはならないという考え方が主流のようである。

どんな一生も
一日一日から組み立てられている
今日一日くらいを
軽く考えてはならない
今日一日こそがわが一生である
人間の将来の幸福の花も
自分自身の今日一日から
生まれ育つのである
学校連合会“青春への警鐘”
今年こそ、今年こそと、みんな考えています。何かを期して新年を迎えます。ところが、一年の計がなしとげられたことを、あまり聞きません。今年は、あれもして、これもしてという高のぞみはせずに、今日一日を充実した日暮らしのくり返しをしようとと計画してはどうですか。万里の長城も、ピサの斜塔も、きょう一日、今日一日の結晶です。人の成功の結果ばかり見て、自分もあのようにと考える人が存外多い作
今です。成功は今日一日の努力の重ねでできたものです。

騒音の中の哀愁
往来の頻繁な十字路に臨んでは、狭い安全地帯にのがれて、始めてほっとする。めまぐるしい焦燥のうちに、怯えながら住まなければならぬのは、堪えがたいことである。しづかな墓地を逍遥するときは、なつかしいまでに心が落ちつく。
静けさを、暗い寂寞とのみ見てはならない。むしろ自分のたましひを喚び覚ます。平和な心の灯とも観られよう。はっきりと自分を捉られているときは、何処に在っても寂しさを感じない。しかし、落ちついて、自分を振り返ってみないときは、たとへ賑やかな都大路のまん中に在っても、かぎりなき哀愁にとざされずには居られぬであろう。
九條武子

おほいなる もののちからに
ひかれゆく
わがあしあとの おぼつかなしや ”無憂華“より二月七日は九條武子さまのご命日です。宗門では「如月忌」で親しまれています。武子さまは、関東大地震の後に。築地本願寺に救急避難所をつくられて、ボランティアとして負傷者を救われるために、ご活動された方です。それも、いろんな人のために尽くすという人生で、私たちがまねのできないほどの大変なご努力をされました。にもかかわらず、私のやってきたことは、仏さまのお慈悲から見れば、どんなに小さなはたらきでしょうかと詠っておられます。
いだかれて ありとも知らず おろかにも
われ反抗す 大いなるみ手に
仏さまに、いつも見護られ、支えられているにもかかわらず、それに気づかず、仏さまに反抗し抵抗し、無視し、信じようとしない。
ところが、いつもじっと見護られ、抱かれていると気づいたとき、如来さまの力にひかれた大丈夫な人生の毎日が喜びと変わっていくのだと思います。 賀屋 英嗣
チッチとチャコ
2008年04月26日
ズーット一緒に遊ぶ二匹です。チャコちゃんもチッチがお気に入りの様子です。今日の陽気のお蔭か?二匹のお蔭か?ゆったり気分の私です。風は冷たいですが、良い気分の浄苑です。
清明祭のピークも過ぎて来週からはゴールデンウィークです。今年はまだ、クロちゃんの子供たちに会えません、前田さん家のヒロは、来月遊びに来てくれるそうです。ロックは、しばらくは会えないかも・・・でも皆元気とのこと!!浄苑では小さな二匹の
今後、展開が楽しみです。乞うご期待!!Byなお
新里ガーデン
2008年04月15日
鐘楼の側にある花壇は風が強いためか?なかなかお花が根付きませんでした。今日お参りにおいで頂いた新里様が、可憐な苗木を植えてくれました。命が芽吹く季節に元気に育てと願います・・・
小春日和の気持ちのいい天気に感謝!!これが元気の源!そして家族の笑い声が聞こえる墓苑、大切な方を思う場所だからお花のいっぱい
ある明るい墓苑は皆様と一緒に作り上げるものだと感じた今日の出来事 合掌
花まつり パート2
2008年04月14日
4月8日は花まつり大典寺から参加申し込みをした
宮城希望ちゃん、
宮城由佳ちゃんです。
安里にあります神徳寺にて

大勢の僧侶による読経の中
子供たちが次々にお釈迦様へ
甘茶かけを行いました。

お楽しみ会ではピエロの芸や
福引会もあり大喜びのこどもたち!

みんなで記念撮影!!
楽しかった一日でした。
ASA
花祭り
2008年04月08日
今日は、お釈迦様がお生まれになった日です。西原浄苑もお釈迦様のまわりをお花でいっぱいにしております。甘茶をかけ、皆で祝いましょう。甘茶をかけるのは、お釈迦様誕生の時、甘露(かんろ)の雨をふらせ、お釈迦様に産湯をつかわせ洗い浄めたという言い伝えによるものです。

神徳寺で行われました花祭りも後程asaよりUPします。ご期待ください。浄苑も沢山の花が咲いています。
Byなお
清明祭
2008年04月06日
沖縄尚学高校選抜高校野球優勝おめでとうございます。ちょっと遅いのですが、やはりこの素晴らしい話題はみんなに元気をくれましたね。私は、再放送でも興奮!!DVDに収録しました。気持ちが落ち込みそうになったら繰り返し見ようと思ってます。
今年もこの季節がやってきました。昨日までのどんより空が、一変してさわやかな行楽日和です。
久しぶりに家族が集って
ワイワイ、ガヤガヤと楽しいひと時を過ごしています。子供たちは、噴水の丸い水を指で弾いたり・・・四葉のクローバー探しに夢中になったり・・・かけっこ・・・。他の家族とすぐに仲良くなって、またね~!なんて・・・、大人は、阿弥陀様の下で、お香の香を楽しみながら、癒しの空間に喜んで下さいます。
親族が集まるこの時期は私にとってもうれしい季節です。
お客様と会える最大のチャンスのだからです。久しぶりにあう親戚のように・・・出会いっていいですね。たちまち元気になっちゃうし・・・。
桜の季節はとっくに終わりましたが、浄苑は、インパチェンス・つつじ・ベゴニアが満開です。本格的な夏の到来を思わせる今日の天気に衣替えしました。もう、寒さはないですよね?Byなお

今年もこの季節がやってきました。昨日までのどんより空が、一変してさわやかな行楽日和です。
久しぶりに家族が集って
ワイワイ、ガヤガヤと楽しいひと時を過ごしています。子供たちは、噴水の丸い水を指で弾いたり・・・四葉のクローバー探しに夢中になったり・・・かけっこ・・・。他の家族とすぐに仲良くなって、またね~!なんて・・・、大人は、阿弥陀様の下で、お香の香を楽しみながら、癒しの空間に喜んで下さいます。親族が集まるこの時期は私にとってもうれしい季節です。
お客様と会える最大のチャンスのだからです。久しぶりにあう親戚のように・・・出会いっていいですね。たちまち元気になっちゃうし・・・。
桜の季節はとっくに終わりましたが、浄苑は、インパチェンス・つつじ・ベゴニアが満開です。本格的な夏の到来を思わせる今日の天気に衣替えしました。もう、寒さはないですよね?Byなお
区画図更新
2008年03月31日
あっという間に3月も過ぎていきました。
久しぶりにHPを見てみたら区画図に変化なし、・・・
4月1日付けでUPしました。いつもご覧の皆様には、ごめんなさいです。
区画の状況は、下記をクリック
http://www.daitenji.org/daitenji/index.html
西原浄苑は、4月1日より衣替えを予定しておりましたが、また肌寒いかな??なかなか夏が来たと思う暑さは、ありません。
と、言うことでもう少し先延ばしです。

さて、4月8日といえば、お釈迦様の誕生した月でもあります。西原浄苑の花祭り、阿弥陀堂にて生誕を祝いましょう。
今日訪ねてきた一人の女性、毎朝夕通勤で329号線から見るお寺が、素敵だったので見学させてくださいと・・・お寺の風景が一人の活力になったり、癒しの空間って素敵ですね。朝は、鮮やかな赤瓦に朝日が輝いて、夜は蓮の花のほのかな灯り、この時間の幻想的なお寺の景色も大好きです。Byなお
久しぶりにHPを見てみたら区画図に変化なし、・・・
4月1日付けでUPしました。いつもご覧の皆様には、ごめんなさいです。
区画の状況は、下記をクリック

http://www.daitenji.org/daitenji/index.html
西原浄苑は、4月1日より衣替えを予定しておりましたが、また肌寒いかな??なかなか夏が来たと思う暑さは、ありません。
と、言うことでもう少し先延ばしです。

さて、4月8日といえば、お釈迦様の誕生した月でもあります。西原浄苑の花祭り、阿弥陀堂にて生誕を祝いましょう。
今日訪ねてきた一人の女性、毎朝夕通勤で329号線から見るお寺が、素敵だったので見学させてくださいと・・・お寺の風景が一人の活力になったり、癒しの空間って素敵ですね。朝は、鮮やかな赤瓦に朝日が輝いて、夜は蓮の花のほのかな灯り、この時間の幻想的なお寺の景色も大好きです。Byなお
ひなたぼっこ!!
ためになるお話。
2008年03月03日
世間に抱く関心は 必ず自己中心の善悪による関心である (信国 淳)「ヨモギ」は春にはヨモギもちを作って喜んでいましたが、夏の頃になるとうっそうと茂り、手がつけられないほどになります。せっせと抜くのですが、一つの芽を摘んでも他のところから出てきて追いつきません。そんなある日、「へ、へ、へ。お前さんが見えているのは地上だけ。おれたちや、お前さんの見えない土の下で網の目のようにつながっているのさ。それに、花たちだって、誰に誉めてもらおうなんて思って咲いているのじゃない。ただ、咲いているのさ、自分のいのちの限り精いっぱいにね。人間は、ご都合主義だね。花を咲かせる草には“かわいいね”って声をかけ、名前を調べ、その存在を認め、大事にしている。だけど、邪魔と思ったものには、名前さえ調べず“雑草”なんて十把一絡(じゅっぱひとから)げの名前をつけて、無理やり抜き取る。同じ植物でもお前さんのご都合で、“善い悪い”を決め付け、いのちを奪い去る。それに見ていると、草花にだけじゃなくあちこちでもそうやっているようだね。
人間なんて身勝手なものと思わないかい?」と、ヨモギの声が聞こえてきたような・・・・・。信国先生は、自然を通して、花の姿を通して、阿弥陀さまのこころが届けられていると、気付かせてくださいました。阿弥陀さまの智慧の光に照らし出された私の姿は、人に対しても、ものに対しても自分の都合でしか見ておらず、しかも、見えているところだけで判断し、自分の都合で善し悪しを決めていた私であったと気付かされます。

中国に担板漢という言葉があるこれは板を担った男という意味で、こんな話がある。或る男が、大きな板を肩に担いで郊外の友人を訪ねた。そうして言うには、「この町は変だなあ、大抵の町は大通りを挟んで両側に家が建ち並んでいるのにここは片方の側だけ家が並んでいる。どうしてこんな町を造ったのか。」友人は、「そんな筈がない。両側に家が建ち並んでいた筈だ。」「いや確か、片方しか家並みは見えなかった。」と言ってゆずらない。そこでよく考えてみると板を担いでいた為に、反対側の家が見えなかったのである。一面ばかり見て他の一面を見ない人を、それから担板漢と呼ぶ様になった。私達の人生を静かに考えてみた時に花が咲くのも人生であれば、花が散るのも人生である。生きつつあるも現実であるならば死につつもあるのもまた現実である。けれども私達は、花が咲く一面のみを見て花が散る事を見忘れてはいないだろうか。生きつつある現実にのみ心が奪われて死につつある事を見落としていないだろうか。そうであるなら担板漢のそしりを免れる事はできないだろう。釈尊は、早く人生のありのままの姿に目覚めなさいと説かれた。それは、生きつつあるままが死につつある、という事に気付く事である。

智の教育二十世紀は私たちに「ものの豊かさ」をもたらしてくれましたが、同時に人間の欲望も肥大化し、行動の基準も「損得」のみになってきています。最近、政財官界ばかりではなく、教育界や宗教界においてすらモラルバザードが起こっていますが、そこには欲望肥大の姿、人間の「痴」の姿が浮き彫にされています。そのことが、命を見る眼を見失わせることにもつながっているように思います。教育界では「心の教育」の大切さが叫ばれていますが、その根底には「命を見る眼」がなければなりません。その視点が欠けているために、底の浅いものになっているように思います。命の問題は仏さまの教えの中心テーマです。
住職書記
チッチとモニカ
モニカが遊びに来ました。
2008年02月20日
大典寺のモニカが浄苑に遊びに来ました。

モニカ~~!!

ハァ~イ!チッチ!!
あそぼ!あそぼ!
足音が聞こえる・・・。
住職かな~?
よし、探検にいこう!!
今日はモニカと楽しい時間を過ごし
大満足のチッチでした。 ASA

モニカ~~!!

ハァ~イ!チッチ!!
あそぼ!あそぼ!

足音が聞こえる・・・。
住職かな~?
よし、探検にいこう!!

今日はモニカと楽しい時間を過ごし
大満足のチッチでした。 ASA
遅くなりました。
2008年02月15日
久しぶりにブログ更新を担当しました。カウントダウンライブの報告も無いまま既に二月も中旬です。
お寺が完成して初めてのイベントでドキドキでしたが、天気にも恵まれ、正月らしく寒くなったこともあって良い雰囲気でカウントダウンライブ成功で良かったです。
すべてが、初めての事でFM21さん、レキオさん石川会長、司会の宮城さん、スッタフの皆様、本当にお疲れ様、そしてライブで盛り上げてくださいました。MOMOさん、KAORIさん、いつみグループさん、金城呂介さんありがとうございました。写真は沢山撮ったのですが、どれもぶれてUPすることが出来ません。”ゴメンナサイ”m(__)m
寒い日が続いていますが、今日は晴れ間ものぞき気持ちの良い青空でした。二日ぶりの浄苑は、大自然からエネルギーを頂けるそんな、場所です。
風のない穏やかな日は、噴水もまん丸なやさしい形をつくっています。私の心も丸ぁるく丸くありたいものです。
Byなお
お寺が完成して初めてのイベントでドキドキでしたが、天気にも恵まれ、正月らしく寒くなったこともあって良い雰囲気でカウントダウンライブ成功で良かったです。
すべてが、初めての事でFM21さん、レキオさん石川会長、司会の宮城さん、スッタフの皆様、本当にお疲れ様、そしてライブで盛り上げてくださいました。MOMOさん、KAORIさん、いつみグループさん、金城呂介さんありがとうございました。写真は沢山撮ったのですが、どれもぶれてUPすることが出来ません。”ゴメンナサイ”m(__)m寒い日が続いていますが、今日は晴れ間ものぞき気持ちの良い青空でした。二日ぶりの浄苑は、大自然からエネルギーを頂けるそんな、場所です。

風のない穏やかな日は、噴水もまん丸なやさしい形をつくっています。私の心も丸ぁるく丸くありたいものです。
Byなお
ごはんちょうだぁ~い!!
ためになるお言葉!
2008年02月09日
テレビの怖さテレビである人が「お供えは、きれいな方を仏さまに向けなくちゃ」とか言っていたというのです。お花は、きれいな表側を、こちらに向けるのに決まっています。それなのに、テレビで言われると、ごくあたりまえのこともあたりまえでなくなってしまうのですね。でも、だまされてはいけません。「お供えだから仏さまに向けろ」などと、平気で言っている人に仏さまの心が届いているわけがありません。きれいな面を、あえて私たちに見せてくださっている仏さまの親心を、その人は知る由もないのでしょう。浄土真宗は、私が仏さまに何かをするのではありません。仏さまが私に何をしてくださっているかを、心に思っていくのです。
それさえ忘れなければ、したり顔でお供えものの話をしている、テレビの有名人に迷わされることはありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし(親鸞聖人)
真実の宗教は、あてにしている(世俗的な価値)ものが、あてにならないと知らせてくれるものです。この自分だけはまちがえないと思っている自分の身勝手さを知らせてくれるはたらきをし、厳しく自分のすがたを教えるものです。お念仏(南無阿弥陀仏)にあうとは、阿弥陀さまの光にであって今まで気づくこともなかった私の真(虚仮であり不実である)のすがたを教えられることです。しかし、名利の追求にあけくれる現代人は、こうしたものの見方を避けて生きているようです。
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ぼんあかり
私たちは今生の緑が尽きた時一体どこへ行くのでしょうか。天国でしょうか、雲の上ですか。山の彼方、海の向う。それとも墓石の下、仏壇の中ですか。決っしてふざけているのではありません。このように思っておられる方が意外に多いのです。迎え火、送り火、精霊棚、という中には、このように私の「いのち」の帰るところがわかっておられない方もいらっしゃるのです。
かつて、お寺の住職の通夜に伺った時、「阿弥陀さまのはたらきで浄土に住生させていただいたお父さんは、いつでも南無阿弥陀仏となって、私のところへ働いてくれているから悲しいがさみしくない」とおっしゃっいました。浄土に住生した方が、いまだ迷いの内にある私を育て、導いて下さっているのです。
“住き人の遺徳を偲ぶ盆あかり”のお盆であることを心したいものです。
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世間に抱く関心は 必ず自己中心の
善悪による関心である (信国 淳)
「ヨモギ」は春にはヨモギもちを作って喜んでいましたが、夏の頃になるとうっそうと茂り、手がつけられないほどになります。せっせと抜くのですが、一つの芽を摘んでも他のところから出てきて追いつきません。そんなある日、「へ、へ、へ。お前さんが見えているのは地上だけ。おれたちや、お前さんの見えない土の下で網の目のようにつながっているのさ。それに、花たちだって、誰に誉めてもらおうなんて思って咲いているのじゃない。ただ、咲いているのさ、自分のいのちの限り精いっぱいにね。人間は、ご都合主義だね。花を咲かせる草には“かわいいね”って声をかけ、名前を調べ、その存在を認め、大事にしている。だけど、邪魔と思ったものには、名前さえ調べず“雑草”なんて十把一絡(じゅっぱひとから)げの名前をつけて、無理やり抜き取る。同じ植物でもお前さんのご都合で、“善い悪い”を決め付け、いのちを奪い去る。それに見ていると、草花にだけじゃなくあちこちでもそうやっているようだね。
人間なんて身勝手なものと思わないかい?」と、ヨモギの声が聞こえてきたような・・・・・。信国先生は、自然を通して、花の姿を通して、阿弥陀さまのこころが届けられていると、気付かせてくださいました。阿弥陀さまの智慧の光に照らし出された私の姿は、人に対しても、ものに対しても自分の都合でしか見ておらず、しかも、見えているところだけで判断し、自分の都合で善し悪しを決めていた私であったと気付かされます。
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おろかさとは深い知性と謙虚さである 平沢 興
愚者の自覚とは、ものごとを知れば知るほど我が身の愚を知らされ、愚を知れば知るほど謙虚さが伴います。
凡人のものごとに対するこだわり、とらわれを「執着」といいます。私たちの在り方を見てみますと、学問をすれば学問にこだわり、経験を積めばそれを鼻にかけ、財を持てばそれを振り回し、地位に就けば就いたで固執する。そして、少し物事が順調に運ぶと「私がやったんだ」と自惚れ、自己を見失い、都合が悪くなると「あれが悪い、これが悪い」と当たり散らしてまた自分を見失う。私たちは、執着することから離れられず、大切な人生を悩み苦しんでいるのではないでしょうか。南無阿弥陀仏とは、そんなとらわれに縛られているこの私の本当の姿を知らしめ、「早く気づいてくれよ」と休むことなく喚び続けてくださる阿弥陀如来のはたらきそのものなのです。その喚び声に出遇えることのできた私は、如来に支えられ力強い歩みをさせていただくことができるのです。

住職書記
ごあいさつ!
2008年01月14日
(右)こんちは~~チャッピーだよ~~!!久しぶりの登場だわん!新しくお寺も建って私たちのお家も引越ししたよ~ん。う~まく~の弟ジュニアも帰ってきて賑やかになったよ、やさしいクロママと幸せな毎日を送ってま~す(^^)遊びにきてね~~!!
ジュニアで~す!半年間の訓練を受け無事帰ってきました。自分では立派になったつもりだけど・・・・、浄苑のおねぇ~さん達はあんまり変わってないねぇ~~なんて言うんだよ!!これからは浄苑もクロママもチャッピーおねえちゃんも僕が守っていくよ!!!
これまでのクロちゃん一家の経緯はカテゴリークロちゃん一家をご覧下さい。
ASA
チッチのご挨拶。
2008年01月05日
すばらしっぃ~~ここはどこ?
阿弥陀堂です。
せっかくなのでお寺の前でご挨拶といきまっかワン!
あけましておめでとうございわ~ん!!
本年も僕ちゃんをよろしくです。
どんどん遊びにきてワン(^^)
皆さんが来るのを楽しみにしているチッチなのでした。
ASA
阿弥陀堂です。
せっかくなのでお寺の前でご挨拶といきまっかワン!
あけましておめでとうございわ~ん!!
本年も僕ちゃんをよろしくです。
どんどん遊びにきてワン(^^)
皆さんが来るのを楽しみにしているチッチなのでした。
ASA






寒い一日のスタートでやっと、大晦日の気分ですね。この一年も本当に良い年でした。お寺の完成もうれしいひとつですが、何よりも多くの方と出会えたことです。一年間本当にお世話になりました。さて、チッチは急に寒くなったので、冬ごもりです。皆が忙しくしているので、一人で寂しそうです。皆さんカウントダウンライブに来てくださいね。そしてチッチに声をかけてあげてください。では、皆さん良いお年をお迎え下さい。 Byなお




日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!